• Kei Tomoda

【コラム】アフターコロナ時代のつながり方の作法―「弱いがオープンなつながり」が、これからの時代を創造するー

2020年もあと2か月。

今年は、コロナという未曾有の感染症とともに始まった。 当初はまだ「対岸の火事」的な扱いであったが、国内でも徐々に危機感が高まり、4月には緊急事態宣言が発令されるに至った。 街からは人影が消え、対面での交流の機会は激減した。 会社への出勤、友人とのランチ、気晴らしの飲み会、ライブや舞台の鑑賞など、これまで当たり前にそこにあった「日常」がすべて「非日常」となった。

一方で、相対するようにZoomをはじめとしたオンラインツールが瞬く間に広がった。 これまで様々な場で議論の俎上に上がりつつも、遅々として進まなかったテレワークやオンライン授業が、一気に浸透した。 メリット、デメリットは今後さらに議論されるべきだが、良くも悪くも、コロナを境にして、私たちの生活スタイルや価値観は大きく変化してしまった。

この激動の期間に、「つながること」について再考した人も多かったのではないだろうか。

リアルに身内や親しい人に会えることの貴重さを感じるとともに、オンラインの気軽さや広がりに魅力を感じた人も少なくないはずだ。 そしてアフターコロナ時代は、リアルかオンラインかの二極対立ではなく、その両方を取り入れた「ハイブリッド」な時代となっていくだろう。 もうコロナ前には戻れない。リアルとオンラインの「良いとこどり」をしつつ、創造的な関係性を構築していけるかどうかが、個人にも組織にも問われている。

話は変わるが、私は普段、都会と地方で二拠点居住をしながら、地方創生の仕事に携わっている。 そのため、都会や地方特有の人間関係やつながり方に触れる機会が多い。

都会でのつながりは、言わば匿名性の高い「エンプティタイズ(からっぽのつながり)」。プライバシーは守られるが、何かあった時に「助けて」という関係は構築しづらい。 他方、田舎でのつながりは実名性の高い「ストロングタイズ(強いつながり)」。 安心感はあるものの、誰もが誰もを知っている社会であり、人間関係が濃すぎる故の息苦しさを感じることも多い。

それら二つの「良いとこどり」をする概念、さらに言うと二元論を超越する概念として、注目しているのが「ウィークタイズ(弱いがオープンなつながり)」である。

もともとは、1973年に米国の社会学者マーク・S・グラノヴェターが提唱した言葉で、「価値ある情報の伝達やイノベーションの伝播においては、強いネットワークよりも、ちょっと知り合いや知人の知人のような弱いネットワークが重要」とする考え方である。

詳しい説明はここでは割愛するが、つまり『関係性の近しい家族・友人・同僚より、たまに会う人・顔見知り・SNSで知り合ったといった人の方が、有益な情報や新しい目線をもたらしてくれる可能性が高い』という意味である。この傾向は、多くの人が感覚的に経験したことがあるはずだ。

私は、特に地方や中小企業で、この「弱いがオープンなつながり」が、個人・組織・コミュニティのすべてのレベルで不足していると感じている。 閉じられた社会では前例踏襲に陥りやすく、イノベーションが起こりにくい。

変化の激しい社会において、自らの変化を恐れるものは、早かれ遅かれ時代に淘汰されてしまう。

自らの情報を開示しつつ、取捨選択しながら異質な価値観を取り入れていく文化を、今こそ醸成しなければならない。

そして、そのための鍵が「弱いがオープンなつながり」なのだ。

奇しくもコロナの影響で、つながり方の手法は急激に多様化した。

今こそ、エンプティでもストロングでもない「弱いがオープンなつながり」を構築するチャンスでもある。


地域の文脈で言えば「関係人口」、企業の文脈で言えば「副業兼業」が、その「弱いがオープンなつながり」の一例になると思う

都市と地方、個人や企業などあらゆる次元で、この「弱いがオープンなつながり」を創造していくことこそが、これからの時代を生き延びていくための新しい作法なのではないだろうか。

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